【泉鏡花生誕150年】文人たちの愛した神楽坂

神楽坂は明治・大正時代に文人が愛した街のひとつです。

「金色夜叉」で知られる尾崎紅葉は明治24年に横寺町に越してきて、亡くなる昭和36年までここで過ごしました。友人や弟子との会食も神楽坂でよく楽しんだと言われています。
 新宿観光振興協会 尾崎紅葉旧居跡

尾崎紅葉の弟子と言えば泉鏡花ですが、泉鏡花は神楽坂につながりの多い作家でしょう。彼は都内を何度か転居していますが、東京理科大のところに「泉鏡花旧居跡 北原白秋旧居跡(新宿区指定史跡)」の碑が残されています(北原白秋が転居後に住んでいたというのもまたおもしろい)。

建物は何も残されていませんが、ここに耽美な文体で今に知られる文豪が、明治32年から39年まで住んでいたなんておもしろいですね。最近は「文豪ストレイドッグス」で女体化もしてしまいましたが(笑)、私はそのアレンジ好きです。

ここに住んでいた時期は、神楽坂芸者と泉鏡花が恋仲になり、新居を構えた時期であり、これまた神楽坂とのつながりがあります。まだ新人作家だった鏡花は、師匠の尾崎紅葉に叱られ、ふたりはいったん別れさせられるという事件も起きています(紅葉亡き後、ふたりは結婚します)。

ところで、泉鏡花、2023年は生誕150年なのだとか。毘沙門天境内前にある掲示板では金沢の泉鏡花記念館で「谷崎潤一郎と芥川龍之介―鏡花を愛した二人の作家」という企画展が行われているそうです。これはおもしろそう! 金沢は泉鏡花の生まれ育ったところ。チャンスがある人はぜひ企画展に足を運んでみてください。
 泉鏡花記念館

神楽坂と文人のエピソードはまだまだたくあんありますので、おいおい書いてみたいと思います。夏目漱石のことも絶対触れなくちゃですよね。

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